愛すべき者達
「・・・ディーの様子がおかしい」
フローディアとリオウが正式に式を挙げてから約1年、平和で幸せな時を過ごしてきたが、最近リオウにはある悩みがあった。
「・・私には変わりないと思われますが・・・王の気のせいでは・・?」
「いや、違う。ボーっとする時が増え、ふと私を悲しげに見るのだ」
一体どうしたのだ、と頭を抱える主にシャールは溜息を禁じえない。
――随分とお変わりになられたものだ。
前は鋭く尖ったナイフのように何者も受け付けなかったが、今は笑顔も見せ大分感情も表に出すようになった。
だが・・・
「恐れながら、そのような事よりも政務が滞っております。そちらの方を・・」
「そのような事と申すか!?私の大切な妃をそのような事と!?」
「・・・申し訳ありません」
この色ボケ王が、と内心で毒づきながらも決して顔には出さずに義務的に礼をするシャールに色ボケ王、リオウは手にしていたペンを机の上に放り出した。
「我が妃の大事に政務など出来ぬ」
「・・・どちらへ?」
分かりきってはいたが、事務としてシャールは聞くと、リオウは一言、
「姫のところに決まっている」
言って、早々に執務室を後にした。残されたシャールは珍しく舌打ちをした事に気付きもせず。
「姫はおるか!?」
王が突然姫の部屋にやってくるのはもはや日常の事で、侍女達は驚きもせずにてきぱきと王を迎える準備をする。
フローディアは部屋にいる事が多かった。結婚前と比べると少しは自由になったのだが、この国の唯一の正妃なのであまり簡単に動き回る事は出来なかった。
だが、今日は珍しく彼女は部屋にいなかった。
「お庭を散歩されていらっしゃいますわ」
それにすぐさま彼は部屋を出ようとするのを侍女達は慌てて止める。
「もう少しでお帰りになると思いますので紅茶でもお飲みになってお待ちに・・」
「よい!姫を迎えに行く」
颯爽と漆黒の長髪を靡かせて行ってしまった王に侍女達も用意した紅茶を見ながら小さく息を吐いた。
リオウが探し求めていた愛しい妃は二人の始まりの場所である木の下に座っていた。ドレスが汚れる事も厭わずに何をするでもなくぼんやりと。
すぐに声を掛けようと息を吸い込んだ王だったが、彼女の瞳に陰りがあるのに気付いて思わず息を呑んでいた。
今にも泣き出してしまいそうに揺らいだそれに妙な胸騒ぎを感じて、気が付いたら叫んでいた。
「ディー!!」
すぐにフローディアはハッとして呼ばれた方を見るとほんの一瞬顔を歪めた。
――どうしたと言うのだ一体!?
恐れるようなそれに1年前の彼女を重ねて、リオウは恐怖に震えた。
だが、姫はすぐに何時も通り穏やかな笑みを浮かべると緩慢とした動作で立ち上がった。
「どうしたの・・?今戻ろうとしていたところ」
「・・ディー・・」
「どうしたの・・?」
近くで見れば見るほど彼女はおかしかった。顔は青ざめ、少しやつれたようにも見える。
「具合が悪いのではないか?酷く顔色が悪いようだが・・」
ビクリと彼女の肩が跳ね上がる。どうやら自覚はしているようだ。
「すぐに部屋に戻り、医者を呼ぼう」
「ま、待って!」
手首を掴んで歩き出そうとする夫に慌てて引き止める妻。
「大丈夫だから・・病気ではないの・・」
「だが、そんなにも顔を青くして・・やはり医者を・・」
「必要ないの!!」
声を荒げる姫に王は目を白黒とさせながらも、これは何かあると思い掴んでいた手を放した。
フローディアは少し目を左右に泳がせてから意を決したようにリオウを見上げた。
「・・この前にお忍びで一緒に街に行ったでしょう?」
「?それと体調と関係があるのか?」
「あるのよ。・・それで、親子がいたじゃない・・?」
「ああ、いたな」
話の意図を読めない王は素直に返事をするしかない。
「・・・まだ生まれたばかりの赤ちゃんだったわよね」
「?ああ・・2ヶ月といったところか」
「・・あの・・どう思った?」
「・・何がだ?」
「赤ちゃんを見て・・可愛いとか思った?」
「???特に何も思わなかったが・・・」
それに傷ついたように目を伏せて、ふるふると睫毛を振るわせた。
――やっぱり・・・駄目なのね・・。
彼女の脳裏には遠い昔に吐き捨てた彼の憎しみの篭った姿が過ぎった。
フローディアがファーフナーに来たばかりだった頃、聞いてしまったのだ。
”私は子など必要ない。私と同じ血をひいていると考えるだけで反吐が出る!”
あの頃は何も感じなかったが、今となってはその言葉がひどく胸に突き刺さる。
「ど、どうしたのだ!?」
堰を切ったように溢れ出す姫の涙に動揺を隠しきれない王はどうする事も出来ずに慌てるほかなかった。
「・・私・・・できたの・・!」
「何ができたと言うのだ?」
「あなたとの赤ちゃんよ!!!」
「・・・・・・・え?」
思った通りの反応だった。呆然と信じられないものでも見るように見下ろす彼をこれ以上見ていられずにフローディアは駆け出していた。
やはり、望まれてなんていなかった。彼にはこんな事迷惑なだけなのだ。
そのまま城の中に入ろうとしたが、
「うっ・・!?」
酷い嘔吐感に襲われてその場に崩れ落ち、手で口を押さえて何とかやり過ごそうとするが、リオウが慌てて駆け寄って来るのを見て我慢出来なくなった。
この苦しさをもう何度味わった事だろう。しかも侍女や王に怪しまれないように気を使った生活は彼女にとてつもないストレスを与えていた。
「大丈夫か・・・!?」
必死に背中を擦ってくれる彼の手の暖かさがドレス越しにも伝わってきて、少し吐き気がおさまってきた。
その後、リオウが持って来てくれた水を飲み、ようやく落ち着いたフローディアは決心していた。
「・・私・・産みます・・あなたが望んでくれなくても産もうと・・」
「何を言っているのだ!!」
「う、産んでもいけないというの!?」
「そうではない!!なぜ私が子供を望んでいないと言うのだ!?」
一体なぜ彼女がこんな事を言うのか理解出来ないリオウだったが、涙ながらに訴える姫の話を聞いている内にその表情は凍り付いていった。
そんな彼の行動がますます彼女を傷付けている事を果たして彼は理解しているのだろうか。
「・・・やっぱり・・・子供なんていらないんでしょ?」
「そんな事は・・」
「嘘!正直に言って!」
どんな気休めも今の姫には通用しないだろう。自分の本心を正直に伝えなくては。
「・・・正直言って子を欲しいとは思わぬ。昔は自分の子など考えただけで虫唾が走るくらいだった・・だが、それはその子を不幸にしたくないからだ。私の子として産まれるその子はこの国では蛮族と言われる血を宿している・・もちろん私のように虐げられるような事はしたくないと思う・・だが、私は父の子だ。同じ事をするかもしれぬ・・そう思うと恐ろしくて・・」
自分が受けた仕打ちを受けるかもしれない子供なんていらない。悲しい連鎖は断ち切らなくてはいけない。
「・・姫には悪いとは思うが、子が出来たときいても素直に喜べぬ・・・すまない」
「大丈夫よ?」
涙を浮かべるリオウをまるで母親のように優しく包み込んで、ゆっくりと頭を撫でる。
「・・・大丈夫よ?あなたはもう大丈夫。きっとちゃんと子供を愛せるわ・・もし駄目でも私があなたの分まで愛してあげるもの・・絶対に悲しい思いなんてさせない」
気が付くと、リオウは思い切りフローディアの体を抱き締めていた。
「ありがとう・・・」
「お父様!!」
背後から弾んだ幼い声と共に軽い衝撃が足にかかる。
「どうしたんだ?そんなに慌てて」
「えっとね!今日、シャールに褒められたんだよ!王子はゆうしゅうでいらっしゃるって!」
「そうか・・・」
愛おしげに撫でる髪は柔らかい漆黒だったがそれを咎める者は誰もいない。
少しだけ前より重くなったがまだまだ軽い体を抱き上げると、柔らかく笑みを零す。
「あ!お母様!」
顔を上げると、眩しい日差しの中それ以上に輝いた微笑を浮かべた女性が立っていた。
それにますます笑みを深くすると、男はゆっくりと空を仰いだ。
”大丈夫よ?あなたはもう大丈夫”
そうだね、ディー。幸せすぎて涙が出そうだ・・・だってこんなにも愛おしい。
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